『おばけのはなし』寄稿文 はしもと あさこ

 2013年の春先に、にわのとりで上演された「おばけのはなし」。構想段階から上演まで、特に何をするでもなく、にわのとりにふわふわと出入りしていた私が、おぼろげな記憶を頼りに書く、ある種幽霊話みたいな随想です。


 というのも、これを書くにあたって頼りにするはずだった、坂田さんとのメールのやりとりが、私のiPhoneからいつの間にか消え去っており(脚本も)。手許には、大して真面目に書き込んでいなかった手帳しかなく、あとは、6.5/wの上演記録だけが手がかりという心もとない状況。もちろん、坂田さんに尋ねたり話をしたりすれば、すぐに明らかになることばかりでしょうが、ぼんやりした記憶そのものを書き留めようとする、ということも「おばけのはなし」の話にふさわしい方法のような気がするので、そのままやってみたいと思います。

 

 さて、思い出せる所から始めると、「おばけのはなし」への私の関わり方は、「だいたい1〜2ヶ月に1度くらい、にわのとりで寺尾さんの作る美味しい晩ご飯をいただきながら、坂田さんに近況を聞く」ということに尽きます。上演前に脚本を読むことはありましたが、ほぼ「特に何も考えてこない人」。学問・実演の両面で演劇シロウトの私は、坂田さんと寺尾さんの間でかなりの議論や検討が重ねられたであろうところに、口を挟む余地は無い!と早々に腹を決め、煮詰まったカラメルをゆるめる湯みたいな感じで毎回白紙の状態で話を聞き、適当なお喋りをして、寺尾さんの料理を美味しく頂くことに徹するばかり。


 それでも、だんだんとテーマが固まり、坂田さんの思考が展開し、脚本が出来、演出が施され、二人の生活空間兼アトリエが演劇の空間になり、つい数日前に晩ご飯を食べていた場所で上演が始まる…という過程に立ち会うことは興味深いものでした。


 特に、ちょうど自分自身が論文執筆のために読んでいた資料(飯塚くに著 小西聖一編『父 逍遥の背中』中央公論社、1997年/中公文庫、1997年)に、坪内逍遥の養女であった飯塚くにさんの夫君、飯塚友一郎氏(第一書房『歌舞伎細見』や、平凡社『世界演劇史』全6巻などの著者としても知られるかと思います)が室内劇に没頭していた頃の証言を見つけた時には、そのタイミングの重なりに驚きもしました。

 

   …その日の朝まで家族が使っていた布団が、夕方には芝居の小道具に化けるのですから、生活感

  のあふれる雰囲気が生まれるのも当然というものです。このあたりが室内劇の特長ということがで

  きるのかもしれません。(中公文庫版、p.234)

 

 上演を観たのは4月1日の夜の部でした。駒込駅から、味のある商店街を抜け、懐かしい雰囲気の漂う一軒家の急な階段を上ると、和室に布団あるいは座布団の並ぶ客席。満員御礼で、ぎゅうぎゅう詰めになって座ると、目の前の続き間には布団を中心に普段と違う混沌とした空間がありました。

 

   のちによその家でやっている室内劇を観にいったとき、座布団がわりに大きな敷布団が客席に敷

  いてあるのを見て、つくづく感心したことを記憶しております。奇妙なことに、そのときの芝居の

  なかみはまったく覚えておりませんのに、客席の布団だけが、印象深く私の頭にこびりついている

  のです。(同、p.235)

 

 この回想がよぎり、やっぱり室内劇には、布団が欠かせないのだ…と妙な納得をしながら開演を待つことしばし。電気が点いたり消えたり、おばけの出てきそうな雰囲気の中、押入れから女優登場。女優というかむしろ、妖しい美しさをたたえたシスターボーイ(まるで若い頃の丸山明宏のような、ちょっと古風な雰囲気も漂っていて、ドンピシャにハマっていたのです)と、女優というかむしろ、パーマ頭の不死身っぽいオカン(オカン、あるいはオバちゃん、という人たちにある、過剰なまでの生命力の強さのイメージと、おばけや幽霊というこの世のものではない存在との間には、逆に親和性があるのか、と納得すらしました)。この二人が布団に入ったり出たり、着替えたり、混乱したり闘ったりしながら応酬する、あるいはあてもなく語り続ける台詞の質量に圧倒される、濃密な時空間。


 何をどうするとこうなるのか、まったく分からないままながら、脚本の作成過程からその上演までを見届けた感慨と、作品そのものの濃さと、『世界の国からこんにちは』の曲で脳内をぐるぐるさせながら、にわのとりを後にしたように思います。


 私の伺い知るところでは、かなり山あり谷ありで、上演自体危ぶまれるような局面もあったようです。なので、ひとまず無事に上演が行われて良かった、ということがとにかく第一でしょう。(私自身には、とくにこれといった災難も起こりませんでしたので、とても呑気に構えていたのですが…)


 そして、当時妊婦だった坂田さんが無事に出産し、その後も相変わらず(のように見えるくらい)活動されていて、寺尾さんもイクメンしつつ学業面でも着々と実績を積まれているのが、本当にすごいなぁと、自身の環境変化による慌ただしさから、この一年位、にわのとりにご無沙汰してしまった私の思う所です。


(追伸:私事ながら、2014年に結婚し、苗字が変わりました。その意味で言えば、「はしもとあさこ」自体がいまや幽霊のようなものなのかもしれません。。。)

 

はしもと あさこ

 

(寄稿者プロフィール)

1982年岡山県生まれ。

2005年学習院大学文学部フランス文学科卒。

4年間の会社員生活を経て、2012年学習院大学大学院人文科学研究科身体表象文化学博士前期課程修了。

2014年より都内私立美術館勤務。