2015年5月『待つ』 於:蟻鱒鳶ル

 

[演出ノート]

 今日、白金高輪駅の改札口で待ち合わせた私たち。

 この中には、もしかしたら死期が近いのを隠してなに食わぬ顔をしている人がいるかもしれません。

 帰りに買ったスピードくじで、大金を当てる人がいるかもしれません。

 ある日、事故や病気で、もう会えなくなってしまう人がいるかもしれません。

 明日、偶然入ったお店で、とても美味しいランチが食べられるかもしれません。

 そんな私たちが、今日、この場で同じ時間を過ごせることが、やっぱり嬉しいです。

 どうぞ、最後まで楽しんでいってください。

 

[ドラマトゥルクより]

 2010年より開始した6.5/w日本近代プロジェクトもいよいよ最後の作品となりました。「日本における近代とは何か」という漠然とした問いから始まったこのプロジェクトでは、作品ごとに異なる形式が用いられました。と言うのも、いわゆる「演劇」という枠組み自体が、「近代化=西洋化」の所産であり、その枠組み自体を問い直す事なしに「近代」について考察する事は困難だったからです。この5年間、「日本近代」について、その時々の問題意識と異なる形式によって様々に考察し、実験を続けてきました。日本における「近代」は、例えばドイツにおけるそれとは異なる、ある種のねじれを孕んでいるために、切り取り方一つで多種多様なあり方が見られます。そうした歴史的・社会的条件下では、私達の試みは、それほど的外れのものでもなかったのだと思います。

 さて、実は今回の『待つ』の構造には、ギリシャ神話のテセウスとアリアドネの伝説が参照されています。アテナイの王子テセウスは、アリアドネの導きの糸を使ってクレタの迷宮のミノタウロスを退治する訳ですが、実は「(クレタ型)迷宮」は「迷路」とは異なり、一本道なのです。迷宮は、右へ左へ行きつ戻りつしながら中心へと向かっていく一本道という構造を持っています。想像力を逞しくすれば、合理的・統一的構造を持つ迷宮図全体が、理性と啓蒙を象徴するアリアドネの糸玉というメタファーによって表現されているとも考えられます。

 しかし、現在の私達は、すでに理性と啓蒙が万能ではない事を知っています。ホルクハイマー/アドルノが『啓蒙の弁証法』で論じるように、近代の端緒において、すでに近代の否定と崩壊が内包されているとするならば、一つの可能性は、合理と非合理の際に、近代とその否定の境目にあるのではないか。その先に待ち受けているものが、ポジティヴなものとは限らなくとも、あえて跳躍してみる。私達が取り組むべき課題とは、そういう事なのではないかと思うのです。

 

寄稿文(1) (2)

 

[公演日程]

2015年5月16日-17日 蟻鱒鳶ル

 

[出演・スタッフ]

構成・演出   坂田 尚

ドラマトゥルク 寺尾 恵仁

構成チーム   根本 コースケ

        松田 早穂

 

出演      寺尾 恵仁

        林 里奈

ゲスト     ジョン(犬)

        村上 理恵

アテンド    石見 舟

 

当日制作    松平 耕一

        山本 和幸

 

協力      蟻鱒鳶ル(岡 啓輔)

        粂川 麻里生

 

企画・製作   6.5/w